おもち

生命

プラスチック、輸液チューブ、塗料

我々の体は死を迎えると燃やされて灰に、あるいは微生物などによって分解され散り散りとなっていく。物質としての肉体は死を契機に急激にエントロピーが増大していく。
死をエントロピーの増大と捉えたとき、私達は日々エントロピーの増大に向かって進んでいるといえる。
過度に資本主義がいきわたり、人間さえも貴重な資本となった現代では、個人の幸福よりいかにその資本を目減りさせず最大限の利益を上げるかが主題と
なった。社会は寿命の延伸を目指し、そのために健康増進としての運動の奨励や投薬・手術などの医療行為を行う。たとえ目の前のものが何かわからなくなろうとも、他人が想像もつかないような深い悲しみや苦しみを抱えていよう
とも我々は生かされ続ける。いつしか生命を維持するかの選択は個人のもの
から社会のものとなったのである。命の主体は私にあるはずなのに、だ。
そして社会が繋ぎとめようとするのは網の中にある価値ある命だけである。それらは五体満足で障害もなく、勤労に努めお金があり、若く、白く多くの場合男性だ。その網に掬われなかった命は、零れ落ちてしまった命は価値ある命たちを救うための礎として搾取される。
エントロピーの増大を遅らせるために社会は積極的に個人の生命活動に介入する。社会は命が拡散しないよう様々な手段をネットのように張り巡らせ、命をつなぎとめようとする。一方でどんなに細かなネットを張り巡らせても、その網の目から我々の命はするりと抜けてやがていなくなる。すり抜けた命はやがてどこかで結実し、また新たな命となっていく。
発展した科学により全能感を覚え個人から命の主体性を奪う社会、命を選別しつなぎとめようとするエゴ、そしてどんなに手を尽くしても命を失うことからは逃れられない不条理達は、まさに怪獣だ。

おもち

おもち omoti

大学時代に医療栄養学を専攻する傍ら、在学中からファッション・ダンス・アートについて学ぶ。
医療やファッションを学んでいく中で感じた、私が主体であるはずの私の命や振る舞いが社会の資源として扱われている現実への違和感が製作のきっかけである。生命と死について、私らしさと社会について、マイノリティ文化の消費等をコンセプトにこれらのテーマについて考えるきっかけとなるような作品を制作・発表している。また、LGBT当事者として異性装やクィアパフォーマンスも積極的に取り入れている。

Instagram:omochiwork