松尾孝之
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QuickTime movie 30min, color, silent, 2016
部屋は、自分の脳味噌のようだ。
モノは情報のようだ。
他人は、コミュニケーションの機会ようだ。
私自身は私の意識のようだ。
日々私は情報を集める。
私は片付けができない。
古い情報はどこに行ったのかわからなくなる。
定期的に大掃除をする事で、
古い情報を見直し、選別して、より自分にとって重要な情報を残す。
他人とコミュニケーションをとるために、その都度、相手にわかりやすいように、情報を整理する。
私がいしきできる範囲はごく一部である。
私の脳味噌はその進化をし続ける。
情報の集合体は化け物のようだ。
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NY在住。ブルックリンを中心に活動。
近年、ファウンドオブジェクトを中心にアート制作をしている。
Artist Statement
自分は何者なのか?
私はアメリカで生まれた。
私は日本人だ。
私は男性だ。
私の父は教育者だ。
私の母は専業主婦だ。
私は日本でそだった。
私は料理の学校を卒業した。
私は建築の学校を中退した。
私はバックパックでアジアを旅した。
私は現在NYに住んでいる。
私はアートの学校に入っていない。
私はアーティストだ。
私個人を説明する言葉。これが私の全てだろうか? 違う。
だから私はそれらをすべて取り払う。
自分は何者なのか?
人間は日々成長、進化する。
その時々に自分が何を考え、何を欲し、何を見て、何をするのか。
それらを1つ1つ丁寧に記録する。
その1つ1つの記録の積み重ねを目に見える形にすることで、私は自分が何者なのかが少しづつ見えてくるのではないかと思う。
私が育った時期の日本は、経済的に変化の大きい時期だった。
インターネットの普及で物事はスピーディーに、全てのイメージは簡略化されて分かりやすく、生活は便利に合理的になった。
失敗することが減り。無駄なことが減った。
情報やコミュニケーションが簡単になったことで、むしろ人と人との距離は遠くなり、
大量に効率良く生産できるようになったおかげで、ものへの執着心が薄れたような気がする。
わかりやすくなり、失敗することが減った事で私たちは考えることをしなくなった。
生活が豊かになるにつれて、少しづつ何か大切なものを失っているような気がする。
私は道に落ちているもの、つまり他人が必要としなくなったもの、多くの人が興味のなくなったことや無駄だと思うようになったこと。
それらをもう一度見直すことで、ひとにとって大切なことは何なのか、ものの価値とは何なのかを考えたい。
目先のわかりやすさにとらわれがちな簡略化された私たちの日々の生活の中で、
見落としがちなものや不要だと思われているもの、
無駄だと思って忘れ去られているものの中から、私はあえてそのものや事を見つけ出し、
そのひとつひとつを大切に拾い上げ、丁寧に接し続けることで、
ものの存在価値を問い直すことができるのではないかと思いながら、
日々制作を続けている。
自分が美しいと思える形というのは自分自身の変化とともに変わってゆく。
こうあるべきだ、これが美しいと思う感覚は不確かであり、それが時にものの存在の本質を私に見失わせる事にもつながる。
その本質を見つめ、この存在が一体なんであるのかを考えることこそが重要であり、前もって用意されたこうなったらより美しい、こうあるべきだという事にあてはめるべきではない。
その本質をどう見極められるか、そのものの持つ可能性をどう発見できるか、このささやかな探求こそが私にとっての制作であり、自分自身とは一体何者なのかという探求そのものにつながっていく気がする。